稽古が人生の近道だった話|琉球芸能活動中な日々⦅髙井賢太郎⦆

髙井賢太郎

稽古とは、芸能や武術などを習うこと。そして、”稽”には考えるという意味もある。つまり、稽古とは古をかんがえることだと解釈する。

稽古である以上、技芸の向上を目指しつつ、古を考えることが必要不可欠だということだ。そしてそれはタテのつながり、先人先達先輩がいてこそ、あってこそ成り立つものだと思う。だから、伝統芸能はレッスンでも練習でもなく、”稽古”でなければならないんだ。

琉球芸能が歩んできた長い時間からすると僕が芸能に触れている時間なんてものは”ただうっぴぐゎー”ってやつだ。(ほんのわずかなものでしかない)琉球芸能のことも、この島のことも、きっとうっぴぐゎーしか分かっていなんだろう。

そんな私は稽古の度に、伝統という長い時間をかけ多くの人に練り上げられてきた技や芸能の奥深さと壮大さ、それを繋いできた先人や先輩の偉大さに圧倒される。その都度、ちっぽけな自分に気づかされるんだ。もちろん、頑張ろう!と思う時もあれば未熟な自分に落ち込む時もある。

でも

舞台で輝く人たちをみてわかったことがある。彼らはちゃんと自分を信じている、つまり自信の心がある。それは長い稽古の中で伝統を学びながら、技を磨きながら心を磨いてきたからこそ持っているんだろう。

自分を信じるというのは、簡単そうでとても難しい。自分のできることもできないことも全部受け入れた上で、自分と向き合い、自分を信じて舞台に立つ。だからこそ輝いている。そんな伝統をつなぐ人たちの心は豊かであたたかく、何よりかっこいい。だからこそ、僕も自分を信じるために稽古に取り組むわけだ。

また、伝統芸能はタテのつながりの中で育まれるものだ。師匠から弟子に、先達から後進に。そんなタテのつながりに心を寄せることこそが、稽古の近道であり、技芸向上の近道であり、人生の近道だ。だから伝統芸能をやっている僕らは人生を近道するチャンスにも恵まれている。それは伝統にただうっぴぐゎー触れただけでも分かる。

私にとっての稽古は、技を磨くためのものであり、自分を信じるためのものであり、人生を近道するためでもある。舞台で輝くあの人たちのように、長い時間をかけて伝統をつないできてくれた先達のようになりたい。

稽古がある人生でよかった、琉球の伝統に出会えてよかった!

記事:リュウカツチュウ髙井賢太郎