プログラム
第一部 琉球と沖縄
●士族が育んだ芸能
古典舞踊「四つ竹」
二才踊「二才ゼイ」
●大衆が育んだ芸能
雑踊「むんじゅる」
雑踊「鳩間節」
雑踊「加那よー天川」
沖縄民謡「仲宗根創・喜友名朝樹」
第二部 芸能で復興した沖縄
雑踊「浜千鳥」
喜歌劇「夜半参」
トーク「伝統芸能から平和を考える」
雑踊「黒島口説」
士族が育んだ芸能
1429年から1879年までの間「琉球王国」という一つの国であった沖縄は、中国・明の冊封を受けながら東南アジアとの中継貿易で栄えました。国王の代替わりごとには、中国から「冊封使(中国皇帝の名代で琉球の国王を任命する役職)」が訪れ、首里城では、その使節をもてなすために音楽や舞踊が披露されました。このように宮廷で士族によって育まれた歌・踊りを「古典音楽」「古典舞踊」と呼びます。
◼︎ 古典舞踊「四つ竹」
踊こはでさ節
一、打ち鳴らし鳴らし 四つ竹や鳴らち 今日や御座出ぢて 遊ぶ嬉しや
打ち鳴らし鳴らし 四つ竹を打ち鳴らして 今日は高貴な御座敷に上がり 優雅に遊ぶことができて嬉しい
琉球王朝時代、宮廷で踊られていた古典舞踊。伝統工芸である「紅型」をまとい、手にした四枚の竹(四つ竹)を打ち鳴らしながら「今日の御座敷で踊ることが誇らしい」という歌詞にのせ優雅に踊る。
演奏動画はこちらから
YouTube「踊りこはでさ節」歌三線
YouTube「踊りこはでさ節」歌箏
◼︎ 二才踊「二才ゼイ」
渡りざう・瀧落菅攪
※音曲のみ
揚作田節
一、豊かなる御代の しるしあらはれて 雨露の恵み 時もたがぬ
豊年の兆しがあらわれ 雨露の恵みも時を違うことなく降っている
浮島節
一、今日や御行逢拝で いろいろの遊び 明日や面影の 立ちゆと思みば
今日はお会いして たくさん遊ぶことができたが、明日面影が立つと思うと。
「ゼイ」とは、戦場で武将が指揮をとるときに使う「軍配」のこと。琉球舞踊では、その戦の道具をあえて踊りの小道具として使うことで「戦のない平和な時代」を表現する。
演奏動画はこちらから
YouTube「渡りざう~瀧落菅攪」
YouTube「揚作田節」
大衆が育んだ芸能
琉球は1879年(明治12年)に廃藩置県を迎え沖縄県となります。それまで首里城内で「組踊(琉球独自の楽劇)」や「古典舞踊」を披露していた士族は禄を失い、市井の舞台へ移り木戸銭をとって、芸能を披露するようになりました。その中で流行りの民謡や庶民の暮らし、風俗を取り入れて誕生したのが「雑踊」「沖縄芝居」です。
◼︎ 雑踊「むんじゅる」
早作田節
一、若さひと時の 通い路の空や 闇のさく坂も 車たう原
若い時の、恋人の元へ通う道は、例え闇夜の急な坂道でも車が通る平坦な道と同じだ。
むんじゅる節
一、むんじゅる平笠 清らものや 女童真頂にちいいせて(花染やう)
麦わらで作った平笠は美しい 娘の頭にちょっと乗せるとなおのことである (花染めは)
二、花染め手巾や 前に結で 二才惚らしもの(花染やう)
花染め手サージは前に結ぶと 若者をほれさせるものだ(花染めは)
三、照喜納坂からやううなよ むんじゅる平笠かぶるなよ(津波古の)
照喜納坂からは娘さんよ 麦藁平笠をかぶってはいけないよ(津波古の)
四、津波古の主の前が にや打ち惚れゆんど(津波古の)
津波古のご主人様があなたに惚れてしまうから (津波古の)
五、芋のうまさや唐かんだ 米のうまさや赤地米(神酒造ての)
芋の中で美味しいのはは唐芋で 米の中で美味しいのは赤地米だ (神酒作っての)
六、神酒造てのうまさや 白ふぇ唐かんだ(神酒造ての)
お神酒造っておいしいのは白い唐芋だ (神酒造っての)
揚芋之葉節
一、里が張て呉てる むんじゅるの笠や 被んではも涼さ 縁がやゆら
愛しいあなたが張ってくれたむんじゅるの笠を被って涼しいのは二人の縁がゆえでしょうか。
月の夜節
一、月の夜も夜い 闇の夜も夜い ヨー 里が参る夜ど 我夜さらめ
月の夜も闇の夜も 夜には違いありませんが、貴方がおいでになる夜が私の夜なのです
二、月の夜になれば 我ん忍でい参れ 闇の夜になれば うんじゅ忍ば
月の夜になったら私を偲んでいらっしゃい闇の夜になったら貴方を忍んで参ります
三、行けんでや言しが 袖は取て引きゆい ヨー 真実行けんでの 肝やあらん
行けと言いながらも袖を取のは、本当に行けと言う気持ちではないのですね
明治期に誕生した雑踊の一つ。「むんじゅる」とは麦わら笠のこと。芭蕉布の着物を右片袖抜きにし、農村の乙女の清純な恋心が軽快な音曲にのせて踊る。
◼︎ 雑踊「鳩間節」
鳩間節
一、鳩間中森走り登り 久葉の下に走り登り
※囃子(ハイヤヨーティバ カイダキ ティトゥユル テンヨー まさて見事)
鳩間島の小高い丘に駆け登り クバ林の下まで駆け登り
二、美しゃもりたる森のクバ 美らさつれたる森のクバ ※囃子
美しく生い茂った小高い丘のクバ 美しく列なった頂上のクバ
三、前の渡よ見渡せば 出ぢ舟入り舟 面白や ※囃子
前の海を見れば 行き交う舟の様子が面白い
四、稲穂積みつけ 面白や 粟穂積みつけ さて見事 ※囃子
稲を積み重ねた舟が面白い 粟を積み重ねた舟の見事なこと
*囃子について
ハイヤヨーティバ カイダキ ティトゥユル デンヨー まさて見事
(南の方をみれば、西表島の古見の連山が手に取るごとく まさに眺めがすぐれて美しい)『琉舞手帖』大道勇 著 参照
八重山諸島・鳩間島に伝わるゆったりとした踊りを、沖縄芝居の名優・伊良波尹吉が明治期にテンポの速い軽快な踊りに振付けた。おおらかで勇壮な動きが南国の明るさと力強さを感じさせる踊り。
演奏動画はこちらから
YouTube「鳩間節」
◼︎ 雑踊「加那よー天川」
加那よー節
一、面影の立てば 宿に居られらぬ でぃちゃよ押し連れて 遊で忘ら
貴方の面影が立ったら、家でじっとしていられない。さぁ連れたってあの人のことを忘れよう
ニ、貫木屋のあさぎ 手巾布立てて 我が思る里に 情け呉らな
立派な家の母屋の別練で、愛の印の手ぬぐいを織って、愛おしいお方に差し上げましょう
三、情呉るびけい 手巾呉て何すが がまくくん締める ミンサ呉らな
愛の印として呉れるのなら、どうして手ぬぐいほどのものをくれるのか。それなら腰を締めるミンサー帯も差し上げましょう
四、遊で忘れらぬ 踊て忘れらぬ 思い勝ていきゆさ あれが情
遊んでも踊っても、貴方のことが忘れられない、貴方の愛情でますます思いが募っていきます。
島尻天川節
一、天川の池や 千尋も立ちゆい おれよりも深く 思てたぼれ
天川の池は千尋の深さがあるが、それよりも深く想ってください。
水辺で遊ぶ男女を描いた雑踊。前半では手巾や帯を交換しながら愛を伝え合い、後半は「千尋の深さの池よりも、もっと深く愛して下さい」と歌う歌詞にのせ男女の恋模様を瑞々しく描く。
演奏動画はこちらから
YouTube「加那よー」
◼︎ 沖縄民謡
仲宗根創・喜友名朝樹
沖縄民謡
琉球王朝時代、士族によって宮廷で育まれた音楽を「古典音楽」と呼ぶのに対し、明治以降、主に庶民の暮らしの中で育まれた音楽を「沖縄民謡」と呼びます。喜び、悲しみ、痛み、その全てを歌に託してきた沖縄の人々にとって三線は「心の楽器」ともいえます。
創さん、朝樹さんとのコラボ動画はこちら
YouTube「沖縄民謡と古典音楽|リュウカツチュウ」
◼︎ 雑踊「浜千鳥」
一、旅や浜宿り 草の葉の枕 寝ても忘ららぬ 我親の御側
※囃子(チヂュヤーヤ ハマヲゥティ チュイチュイナ)
旅は浜辺を宿にし 草の葉を枕にする 寝ても忘れられないのは 我が親のお側である
二、旅宿の寝覚め 枕そばだてて 覚出すさ昔 夜半の辛さ ※囃子
旅の宿で目覚め 耳をそばだいると 昔の事が思い出されて 夜半が辛い
三、渡海や隔ざめてん 照る月や一つ あまも眺みゆら 今日の空や ※囃子
海を隔てていても 照る月はひとつ きっとあの人も眺めているだろう 今宵の空を
四、柴木植てぃ置かば しばしばといもり 真竹植いてぃ置かば またもいもり忍ば ※囃子
柴木を植えておくので たしばしばおいでください 真竹を植えておくので またお会いしましょう
故郷を離れた旅先での旅愁をテーマにした雑踊。「海を隔てても照る月は一つ、今宵の月をあの人も見ているのだろうか」と歌う歌詞にのせ、手踊りで哀愁が表現されます。
演奏動画はこちらから
YouTube「浜千鳥」
◼︎ 沖縄芝居 喜歌劇「夜半参」

登場人物
里之子、忍びの女、三良、三良の妻、亀謝、亀謝の妻
あらすじ
月夜のもと恋の成就の為、夜半に参詣に訪れる男装した女性(忍びの女)。その噂を聞きつけた村の男二人(三良・亀謝)は、こっそり様子をうかがいに出かけます。女性は意中の若侍(里之子)とめぐり会い、二人の恋は成就しますが、納得いかない村の男たち。そこへ男二人の行方を捜しに、妻たちもやって来て、てんやわんやの騒動となります。
沖縄芝居
沖縄芝居のはじまりは、「雑踊」の誕生と同じく、1879年の廃藩置県以後、琉球王国の宮廷芸能を担っていた士族たちが生計を立てるために庶民向けの演劇を始めたのがきっかけに誕生しました。「夜半参」の初演は明治43年(1910)で、数々の名作を世に送り出した我如古弥栄の短編喜歌劇です。人情味あふれる笑いや哀歓が織り込まれ、沖縄芝居の醍醐味を堪能できる作品です。
◼︎ 雑踊「黒島口説」
黒島口説
一、さても変わらん 黒島や 島の流れは かなえがた 祝う寿 その景色
何時も変わらない黒島、島は鼎の形をして立派で、祭りを祝いことほぐ景色が美しい。
いやいや豊かなる世のしるしさみエー 雨や十日越し 風や静かに 作る作物万作そてど 仲本 東筋 伊古 保利村 保慶や宮里 番所宿々 花の遊びや唄や三味線 チントンテントン面白もんさみ(今の拍子に口説早めれ)
さてさて豊かな世の印であるよ。雨は十日越しに降り、風は静かに吹いていて農作物も豊作で、仲本・東筋・伊古・保里・保慶・宮里の村々の役所や家々では賑やかに遊びが行われ、歌や三線がテントテントと鳴り響き面白いものだ。
二、村の有様 見渡せば 天の四宿に 象取りて 千代も豊かに 民遊ぶ
村の有り様を見渡すと、天の四方を司る四神にも形よく似ていて末永く豊かに人々は舞い遊ぶ。
いやいや昨夜の綱引きさみエー 西の大将 東の大将 皆々揃とて、足や松本 腕や黒金、ゆしくばゆしゆし、いやちゃんと切りたさ 負けやん負けやん袖ゆいうすびば(今の拍子に口説早めれ)
さてさて昨夜の綱引きときたら 西の大将も東の大将も皆揃って足は松の根のように踏ん張り腕は鉄のように逞しく寄せては引き、引いては寄せ合っているうちにすっかり勝負がついて、(負けた方が)負けだ負けだと袖をめくって、(勝った方に)敬意を表したよ。
三、節もたがわん 雨露の 恵深きに この御代は 老いも若きも 諸共に
季節も違えず雨露の恵みも深く、この豊かな御代を老いも若きも共に感謝しよう
いやいや弥勒世果報のしるしさみエー 我んどさばくい 家の鼠のちゃーがど 築の干し蛸け取て 前の高岡登とて うんぶいこうぶい 月や眺めて可笑しや見ちゃさめ やがり猫がミヤウミヤウ いやちゃんと逃げたさ(今の拍子に口説早めれ)
さてさて 豊かな世の中の印であるよ、私は村役人だが、家のネズミたちが干しタコを取って、高い岡に登って、頭をふりまわしているのをお月様が可笑しそうに見ていた。そこに痩せた猫がミャウミャウとやってきたので、ネズミはすっかり逃げたよ。
四、しんと心は 梅桜 匂に引かされ 袖衣 花の美童 引き連れて
ちょうど心は 梅や桜の匂いに引かされた袖衣のようで、若い娘を引き連れて遊ぼう
いやいや巡て六月今ど走りふるエー 豊年の遊びや老いて若さも 腰や押されて袖や引き連れ いそいそ浜下り 錦交じりの花の雲山 匂ふくふくさんさん いやわしたさばくい 船の大将 楫取り囃し ホーホー招く扇や 舟子勇みて あれあれ漕ぐ舟見ちゃりば さてさて面白ものさみ(今の拍子に口説早めれ)
さてさて季節が巡って六月が早くもやってきた。豊年の遊びは、老いも若きも袖を引いて腰を押して浜に下りると、錦交じりの花の雲山のようで、匂いがよく香り 私たちの役人・船頭が舵を取って囃し立て、早く早くと扇を招くと、船子達が勇んで船をこぐのを見るのは本当に面白いものである
五、眺む心は 有明けの 月に思いぞ 照り勝る 誠浮世の しるしさみ
眺める心は、夜明けの空に残る月にも勝って、誠に浮世の象徴であるよ。
いやいや黒島みどんの 昨夜の浜下りさみエー 浜蟹取らんで 足や高足横足つかとて あれあれアダンのみいから大爪うちふいふい アギゼイザヘイアブヘイ(今の拍子に口説早めれ)
さてさて黒島の女性達の昨夜の浜下りであるが、浜蟹を取りたいために足を高く上げ、横足を使っていて、そしたらアダンの穴から大きな爪をうち振ってきた
快活な歌と、踊り手の囃子の掛け合いで、八重山諸島・黒島の豊かな自然、五穀豊穣を表現した雑踊。実際には歌のように豊かな暮らしではありませんでしたが、人々は言霊を信じ、歌い踊ることで「豊かでありたい」と願いました。どんな困難も前向きに明るく乗り越えようとする沖縄人の力強さ、生命力が感じられる踊りです。
◼︎ リュウカツチュウ

芸術文化活動が制限された2020年10月感染症流行(コロナ)の真っ只中、活動を開始。沖縄にいなくても、沖縄に・伝統に触れる場所をつくりたいという想いから
「 海だけじゃない、沖縄の魅力
首里城だけじゃない、沖縄の宝もの 」
をコンセプトに沖縄や伝統をYouTubeや舞台にて発信。それぞれ三線、琉球舞踊、琉球箏の舞台活動に取り組んでいます。
▶︎これまでの活動
ー 国立劇場おきなわ連携動画の企画、撮影、編集等
ー 三陸AIR・アーティストインレジデンス 「琉球と三陸の芸能交流」
ー なら国際映画祭 フランス・パリ/コルシカ島 琉球舞踊及び古典音楽 公演
ー 沖縄タイムス日曜子ども新聞「ワラビー」連載(第3週8面)
その他、県内外による琉球芸能公演(琉球舞踊、組踊、沖縄芝居等)、WS等に出演
兵庫と沖縄 そして出石永楽館 ────
兵庫県は沖縄戦時下において県政を担った島田叡知事の出身地。1945年1月、沖縄への米軍上陸が必至とみられている状況の中、県知事として着任した島田は、疎開の促進や食糧確保等、県民の生命保護に尽力しました。県民4人に1人が亡くなったと言われる沖縄戦において、島田叡知事が果たした役割は大きく、そうした経緯から兵庫県と沖縄県は友愛都市として提携を結んでいます。
また出石永楽館は近畿最古の芝居小屋。沖縄には芝居小屋は現存しませんが、明治期に誕生し芝居小屋で演じられた在りし日の琉球舞踊・沖縄芝居が、ここ永楽館にて甦ります。
公務員として巡業した役者たち
終戦直後の1945年、多くの人々やモノを失い白黒の世界となった島に響いたのは空缶で作った「カンカラ三線」の音色でした。統治に移行した米軍政府は、住民代表で構成する諮問機関として「沖縄諮詢会」を設置し、そこで「松・竹・梅」の3つの官営劇団を設立。役者たちは公務員として県内各地を駆け巡り、戦前演じられていた舞踊や芝居で人々の心を癒しました。歌と踊りで始まった沖縄の戦後復興はまさしく「心の復興」からスタートしたのです。
⦅ 公演概要 ⦆
戦争で多くを失った沖縄。途方もない喪失の中で、人々を支えたのが歌と踊りでした。役者たちは「公務員」として県内を巡り、芸能を届けました。本公演では、琉球舞踊と沖縄芝居を通じて沖縄の戦後復興と芸能の歩みをたどります。トークセッションでは、YouTuberリュウカツチュウが兵庫と沖縄のつながりや、芝居小屋文化と芸能の関わりについて語ります。戦後80年、平和への願いを込めて—。
⦅ 日時 ⦆
2025年12月27日(土)
開場:12:30- 開演:13:00-
⦅ 場所 ⦆
出石 永楽館(兵庫県豊岡市出石町柳17-2)
近畿地方最古の芝居小屋、映画「国宝」のロケ地としても話題に。
⦅ 料金 ⦆
観覧無料
⦅ 出演 ⦆
金城真次
廣山えりか
玉城匠
奥平由依
髙井賢太郎
仲嶺夕理彩
入福浜天乃
歌三線 新垣俊道
棚原健太
箏 町田倫士
笛 澤井毎里子
太 鼓 堀川裕貴
沖縄民謡 仲宗根創
喜友名朝樹
ストーリーテラー
井上あすか

