以前、町田倫士と「ちんだみ」(調弦)の話で盛り上がった。
「健太さん、いつも女弦のピッチが高めですよね〜。しかも、演奏中にだんだん全体的に高くなっていく気がします(笑)」
「だよね、よくいわれる(笑)」
「逆に◯◯さんは、中弦が少し低めですね。」…
そのときは楽屋で時間を持て余していたので、自然と会話も弾んだ。
彼の言う通り、奏者によってちんだみのピッチは微妙に異なる。ある程度一緒に舞台を踏む間柄になってくると、その人のちんだみの“クセ“も徐々にわかってくる。ただ、最終的にはニートゥイ(三線のリーダー)のちんだみが基準になるので、演奏前に微調整して本番を迎える。
私の女弦のピッチが高くなりがちなのは、間違いなく私の師匠、比嘉康春の影響だ。彼のちんだみは、他の奏者に比べて全体的に高い。ちんだみは440Hz~442Hz(ヘルツ/周波数)の範囲内で合わせることが多いが、師匠は448Hz。ピアノの「ド」と比べると8Hzくらい高い。その違いは比較して聞けば誰でもわかるほどだ。
ちなみに師匠とよく共演する笛奏者たちは、448Hzに調律された笛を用意している。
「今日は康春C(シー)の笛だね」
と、共演者から冗談交じりにイジられているのをよく見かける。それほど師匠のちんだみは独特なのだ。
以前、私は師匠にちんだみを高めにしている理由を尋ねた。師匠は少し笑ってこう答えた。
「私にとって、これが一番歌いやすい三線の高さなんだよ。それに、この高さだと音楽が華やかに感じられるだろう?」
やはりこだわりをもっていた。が、それが448Hzだとは私に言われて初めて知ったらしい。つまり、結果的に師匠にとってそれが一番心地よく、彼の音楽が最も輝く高さだと知った。
ちんだみといった一見技術的にみえる作業も、そこには奏者の感性や音楽観が宿るのだろう。さらには、師匠や流派、一緒に演奏する仲間たちの影響も色濃く反映される。それが自然とちんだみの”クセ”に現れるのだと理解した。
おもしろいなぁ。結局のところ「何を良いと思うか」は人それぞれの好みや価値観の次元に行き着くのだと。それはちんだみに限らず、文化芸術全般や何事に対してもいえる。私たちが人間である以上、至極当然なことだ。
というわけで、私はちんだみに対して「絶対にこれ!」と決めつけないよう心がけている。もちろん、あくまで微妙なズレに限る話だが。そして、自分のちんだみの”クセ”(=伝統)も大切に受け止めている。
たかがちんだみ、されどちんだみ。今日も私のリュウカツは続く。
記事:棚原健太