伝統芸能の世界においては、「先生」と「生徒」の関係を、「師匠」と「弟子」と呼ぶ。師匠は生涯で体得した技術や知恵、またそこに繋がれてきた想いなどを、稽古の中で弟子へと伝授する。師弟の関係でもって伝統芸能はつながれていくのだが、その関係というは千差万別、十人十色の関係があると言ってもいい。今回は私の師匠について話してみたいと思う。
琉球箏曲興陽会 山内照子師の元へ入門
僕が琉球箏曲の世界に入ったのは中学2年の終わり頃。友人に連れられて山内照子師の研究所を訪れたのがきっかけ。
最初は五五三ワの「瀧落菅攪」から始まり…。手が少し馴れてきたところで、湛水流保存会普及審査(箏曲部門)の申込用紙を渡されていた。当時は、歌持ち(前奏)がとてもトリッキーに感じた「揚出し早作田節」に苦戦しながら、気づけば毎年5月は湛水流普及審査が恒例イベントになった。それと並行して琉球新報社の芸能コンクールも新人・優秀・最高と賞を重ね、芸能祭など舞台の経験をするなかで、柔らかくて暖かい箏の音色や、舞踊地謡で三線などと演奏する楽しさなど、琉球箏曲の魅力に引き込まれていった。
師匠は普段からあまり多くを話す人ではない。だけど、稽古に行くと必ず食べ物や飲み物をくれたり、学校や仕事のことを気にかけてくれたりする。すごく人情の熱い人なんだと思う。
大学2年生で入った国立劇場おきなわの第五期組踊研修、そして大学卒業後入学した沖縄県立芸術大学の大学院の進学に際しては「それぞれの先生方からしっかり学んできなさい」と背中を押してくれた。沖縄伝統芸能の世界で他の先生から一定期間お習いするというのは簡単な話ではない。そんな中で「私が教える分は教えるから、他の先生から学べるものは全部学んできなさい」と送り出してくれた先生の寛大さが本当に有難い。
“頑張って”ではなく“頑張ろう”
そんな師との忘れられないエピソードがある。師匠は試験前日の稽古を終えると必ず「明日は頑張ろうね」と声をかけてくれる。「頑張って」でも「頑張りなさい」でもなく「明日は頑張ろう」
それは僕にとって何より心強い言葉。その言葉で“師匠も一緒に試験を戦ってくれているんだ”という安心感をいつも感じていた。
言葉の力ってすごくて、「頑張らないと」と気負っているところに、師匠から「頑張ろう」と言われるとすごく胸が温かくなるというか、一緒に走ってくれているような気がしてフッと肩の力が抜けるような感覚になる。僕も将来お弟子さんをとる時には、師匠と同じ言葉をかけてあげたい。
最近では「人との出会い、横のつながりを大切に」とリュウカツチュウの活動や、その他の舞台活動を応援してくれる。人との繋がりの中で物事が進んでいくということを実感する日々。山内照子師と出会えたご縁に感謝して、これから師匠に恩返しできるように舞台を頑張っていきたい。
\国立劇場おきなわにて、16年ぶりに琉球箏曲の公演が開催されます/
【 企画公演 琉球箏曲の美 】
(※山内照子師も出演します)
記事:リュウカツチュウ 町田倫士